やっときた反抗期😁~その①
『私』 ができるまで👧
私には “反抗期” が無かった🤔
両親の仲は、良くも悪くも無かったが、たまに喧嘩の気配を感じると気を使っていた子どもの頃…
父は仕事をいろいろ変えていた。生活に困る様な事は無かったが、子どもの分からないところで、母は苦労をしていたと思う。
そして気分屋の為、家族は振り回されがちだった。
母は実父(私からすると祖父)を戦争で亡くし、後の義父は腕の良い鍛冶職人だった様だが、アル中だった為、男性への思いが複雑で⁉、父へも従順に従っていた感がある。
姉はシッカリもので頭も良く、自分の主張もできるタイプ。
そして私…
姉に頼りっぱなしで、のほほんと生きていた😊
そう…姉が進学の為🏡を離れるまでは…
姉がいなくなり、両親と私の3人暮らしが始まった。
姉とは5歳離れているので、私が中学2年生の頃。多感な時期だ。
その頃は、
「人間ってなんだろう…」
「宇宙の外には何があるんだろう…」みたいな事をぼんやりと考えていた🤔
親や先生への反発心みたいな物も、あまり無かった…
高校生位だろうか…
度々、親の喧嘩の声が聞こえる様になった。
隣の部屋にいた私は、怖くてドキドキしていた。
でも、話している内容が気になり、聞こえる様に少し戸を開けながら👂をすませていた…
今思えば、HSPの私には酷な場面だ😭 (HSPに限らずですが…)
気分屋の父の機嫌を伺いながら…
その父に従順に従う母の姿を見ながら…
頼りの姉は一緒にいない…
そして出来上がったのが…
「自己肯定感の低い 自分というものが無い 優等生風の私」だった…
反抗期等があるはずも無く、🏡の中が平和に過ごせる事が一番。
むしろ、反抗期の無い私が良い事とさえ思っていた。
かと言って、🏡が嫌いな訳では無く、両親それぞれに愛情をかけてもらった事は間違いない。ただ、母の生い立ちや依存が強い性格から思い返すと、過保護に育てられた様な気もする。母が父の事を悪く言う様な事は無かったが、普段の様子から私を頼りに(言い方はワルイが、味方に付ける様に)していた感が強い。
極め付きは、私が高校を卒業し上京する日の朝だった…
父の運転で上京する事になり、早朝、起きて準備をしていた。
そんな中、台所で両親の声。詳しいやりとりは忘れたが…
父から「娘が旅立つ日に赤飯の1つも作れんのか…」のような言葉…
言い返すでも無く、慌てて何かを用意する母…
そんな2人を見て育った私…ちょっとしたトラウマ😰
今となれば、それぞれの生い立ちや性格、夫婦関係、金銭的な事等理解ができるが、当時の私には、「母が可哀想」という思いしか残らなかった。
そして母も、大人になった私達姉妹に、父から抑え付けられてきた事への不満を漏らす様になった。そうしたくなるのはムリも無かったし、気分屋の部分で「嫌だなぁ💦」と思う事がたくさんあった為、何か父へ話す前は、女子3人で作戦を立ててから動いていた。今思えば、一方的に母からの言い分しか聞いていなかった…
そんな構図が変わらないままずっと続いていた。
が、ここ最近になって変わってきたのだ…
両親も80歳前後になり、私は50歳。
ようやく、親の呪縛から解かれ始めた😂😂😂